昭和40年4月、荒井注氏に代わってザ・ドリフターズのメンバーに起用されたばかりの志村けんにも会っている。時に24歳。太い眉、髪の毛もまだたっぷりと濃く、いかにも精悍で、当時の人気歌手の尾崎紀世彦にそっくりだったが、そのことにふれると「人に似てると言われるのが一番嫌いです。」と急に不機嫌になったことが忘れられない。
余程の自負心を宿していたと思うが起用に「喜ぶよりも責任感に押しつぶされそう。」と降ってわいた幸運にとまどってもいた。
高校の卒業式の数日前、ドリフのバンドボーイになりたくて、いかりや長介の家の前でねばっていたそうで「雪が降り出してきて池の中で我慢した映画の姿三四郎になりきってました。」と、してやったリの笑顔も印象的だった。
だが、バンドボーイ生活から脱け出し、水道工事の配管工やバーテンを経験して舞いもどっている。
短気ですから、いかりやさんの頭をスリッパではたいて飛び出したこともあります。リーダーをギャグでなく殴ったのは僕だけです」
  と、こともなげに話す図太い神経にもおどろいた。
デビュー2年後には、TBS系「全員集合」で出身地を歌った「東村山音頭」が評判を呼んだが、昭和34年に三橋美智也がキングレコードから出した曲で、東芝が版権を買い取って志村の新曲としてリリース。山口百恵の曲と競うほどヒットした。
「東京の田舎者とメンバーにからかわれて開きなおって歌い出した曲。意地を通すのも悪くない。」と、この時はさすがにうれしそうだった。
見かけと逆に無類の勉強家で、リムジンの後部座席にはビデオやCD機器を完備。キートンやチャップリンなどの名作を揃え、移動の際は熱心に目を通している。個性やアドリブで笑わせる時代にあって、「あくまで台本があっての喜劇」を見せる正統派コメディアンとして頑張ってほしいもの。
それにしても、デビュー当時の取材で理想の女性像を「年下の可愛い女の子、優等生タイプより、アホだねおまえは、という感じがイイ。」と答えているが、最近若い女性タレントとの噂を聞くにつけ、女性の好みは少しも変わっていないとたまげてる。



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