昭和52年、デビュー10年を機に渡辺プロに移籍して来たピーターに会った。モノセックスな魅力で売っていただけに顔は美しくメイクされていたが、ドスのきいた低音と、何気なく目にした爪のアカはまぎれもなく男性のそれだった。会話は機知に富み、利発さが読みとれた。鹿児島の名門、ラサール高校出身で、全員五分刈りで下駄ばき通学という校風だったが、ピーターは頭の形が良くて「尼さん」と呼ばれていたそうだ。授業中にポルノ小説を書いて、先生に1時間も説教されるなど異色の学生だったそうな。だが、見かけによらず(?)スポーツは得意で、日舞の名取(上方舞吉村流-雄秀)のため肩に筋肉がつくゴルフはやらなかったが、卓球などはスタッフの誰もかなわなかった。167cm,47kgのスリムな体型に似合わず、無類の大食漢。1日に4〜5食は普通だった。毎日5コの卵は欠かさず、夕食に刺身、鍋物、寿司を食べ、寝しなに伊勢エビ4尾、雑煮2杯、寿司といった豪華メニューが多く、「ギャラは食費で消えちゃう」とこぼしていたほど。   新幹線で早朝出発の時も、ビュッフェで食事を済ませないと寝られず、東宝の「獄門島」のロケでは、旅館の朝食でご飯を5杯もおかわりして、係りの女性から「イメージ狂っちゃう」と皮肉られたもの。
原宿の2LDKのマンションの2部屋の壁を取り去った約20畳のリビングルームに住み、遊びに来た友人から柔道の道場に使えると言われたそうだが、そのくせ愛車は濃紺のミニ・ク−パー。「狭い車内から広い部屋に帰ると、心からホッとする」とギャップを楽しんでいた。昭和54年にはニューヨークに約1ヶ月間滞在して、ショー見学やショッピングに明け暮れた時、当時、話題のゲイクラブに足を運んだ。さぞやモテまくったと思いきや「きれいにメイクした私を女だと思って、全く相手にしてくれない。くやしかったけど、本物のゲイがどんなものか参考になった」と妙に納得していたのが印象に残る。今も、美しく、芸に磨きをかけている活躍ぶりに拍手を送りたいものだ。



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