昭和50年、「水色のときめき」でデビューしたザ・リリーズ。当時まだ14歳。中学3年生の双子デュエットで、ザ・ピーナッツ2代目を担ったが、いかんせん実力的には及ばなかった。だが、2曲目の「好きよキャプテン」のヒットでアイドル人気は急上昇。歯ブラシやチョコレートのCMに起用され、テレビ、ラジオにも引っぱりダコになった。その可憐な容姿に似合わず意外にスポーツ好きの活発な少女だった。
北海道出身。スキーやスケートはもちろんサッカー、木登り、鉄棒も男の子よりもうまく、近所のガキ大将だったという。「あんまりうるさいので、母によく部屋にカギをかけられて閉じこめられました」というほどだ。
炭鉱の町として栄えていた頃の夕張に生まれ、父親がレコード店を経営していた縁で、小学生時代から”炭鉱まつり”などに2人揃って飛び入りで歌い、12歳の時スカウトされた。デビュー前は、春、夏、正月の休みに上京し、東京音楽学院でレッスン。本名が”燕”(つばめ)という珍しい名字のため、芸名も”つばめ姉妹”と決まりかけた。
  しかし、演歌の”こまどり姉妹”勘違いされては困るとあわててリリーズ(すずらん)に変えられた。上京後は、横浜の渡辺プロ社員宅に下宿したが、寒い北海道では目にしなかったゴキブリをクワガタと思い込み見つける度につかまえようとした笑い話もある。どさん子ならではで、ラーメンは1日も欠かさず食べるほどの大好物。グルメ本や友人から店の情報を集め地方公演の際には必ずお目当ての店には顔を出す。自分たちでも良く作り、具や調味料にも工夫を凝らし、渡辺プロ国立寮に移ってからも、ラーメンだけは調理のおばさんよりも味がいいと、同僚のタレントたちにもせがまれていた。
顔や体つきそっくりに見えるが、当時、妹真由美が3キロやせていて、姉の奈緒美が気にしていたもの。お揃いの衣裳を間違えて着たりして、汚そうものなら大ゲンカということもしばしばだった。
炭鉱の閉山で両親が上京。東京近郊でホテルを経営したがアイドルとなって実家の仕事は極秘にされていたのである。



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