今は亡き淀川長治のモノマネでを呼んだ小松政夫。ドタバタ喜劇からシリアス演技までこなす器用なキャラクターは貴重な存在である。昭和17年、福岡生まれの九州男児。剣道2段で腕っぷしも強く、子供の頃にはよくケンカしたが、めったに負けなかったという。人を笑わせるのも大得意で、英語にカタカナをふり、独特のイントネーションでまくしたてると、「まるで外国放送を聞いてるみたいだ」と学校中の評判となり、高校時代には「英語暗誦会」で県下3位ひ選ばれたほどだ。「英語の解釈はからきしだめだったけど映画好きだったので、西部劇の俳優の物真似でしゃべっていただけなんだけどね」と笑っていたが、淀川センセイの下地はその頃からのものだったのだ。博多の繁華街で菓子店を営んでいた父親が中2の時に他界し、残ったのは多額の借金だった。「当時、豪華な家に住んでたのに、突然、母と兄弟の8人家族が、6畳一間に暮らすことになり、高校時代はアルバイトに精をだした」とか。その時に得た教訓は「油断大敵」で、今も心の戒めにしているそうだ。 高校卒業後、家出同然に東京に住む兄を頼って上京。兄の勤め先の独身寮にころがり込み、職業を点々としたが、成功したのは車のセールスマン。得意のシャベリと、顧客の気を引くテクニックは抜群で営業成績はいつもトップ。「安売りの真っ白いYシャツを何枚も買い込み、お客の目の前で、点検します!とかいって、車の下にもぐり込んで、油で真っ黒に汚すわけさ。そこまでして面倒みてくれるんだと同情を買い、車が売れるのさ。特に女性客にはウケたよ」と聞き、さぞやの名演技だったのだろうと納得したもの。植木等の付き人兼運転手募集に応じてプロへのキッカケをつかんだが、当時の自慢は、1日も早く看板(主役)になりたいという気持ちから集めた看板のコレクション。質屋、飲み屋、文房具店、柔道道場、バス停留所、地獄谷温泉など、バラエティに富んだ看板で一部屋が占領されてしまうほどだった。「どれもしつこく交渉してもらったもの。店の心意気が伝わり励みになるよ」ほくそ笑んでいた。若い頃はリーバン・クリフの大ファンだったが、彼にも負けない名脇役として更なる好演を期待したい。



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