ロックシンガーとして、今も人気が高い吉川晃司だが、昭和59年2月「モニカ」でデビューした当時は,歌える映画スターだった。CDの発売と同時に初主演映画「すかんぴんウォーク」(東宝)が公開され、全国7都市でのキャンペーンでは映画とミニライブを見せるコラボレーション作戦がとられ、その後3本の主演作を撮っている。
181cmの長身とダイナミックな身のこなしがファンを急増させたが、中学高校と水球部で活躍。2年連続で全日本高校最優秀選手賞を獲得するほどのスポーツマンだった。だが、日本での水球は話題に乏しくもし、吉川が野球やテニスなどのメジャー種目を選んでいたら、芸能界でなくスポーツ選手として才能を開花させただろう。デビューする1年前の4月、出身地の広島でアマチュアバンドの人気者だった吉川に初対面したが、照れ屋で好感の持てるスポーツ青年そのものだった。
「根性って言葉は嫌いです。練習の合間にロックを聴き始めて、高1の時に広島名物のカキを冷凍するバイトで10万円のギターを買ったのがバンドを組むキッカケでした」と語り、運動も音楽も気軽に楽しんでいたらトップに立っていたという天才肌を直感した。
  映画の取材に通ううちに大森一樹監督とも親しくなり、私もほんの数カットだが、オーディションの審査員役で出演する事になった。撮影当日は早朝7時に日活撮影所に出向き、顔にドーランを塗られて昂奮気味だった。そんな私を気づかってか、出番のない吉川が顔を見せ、温かいコーヒーとジョークで緊張をほぐしてくれて、「いい奴だナ」と好感を深めたものだ。
吉川の父親は広島県安芸郡でスナックを経営していたが、長身のにがみ走った二枚目で、若い頃は東映の時代劇俳優だった。市内の小料理屋で一緒に呑んだが、サッパリとした気性で、さり気ない会話の端々に自ら果たせなかったスターへの夢を息子に託す心情がうかがえた。
渡辺プロとの契約を済ませた後、制作部長に「くれぐれも女性関係に気を配って下さい」と父親が念押ししたという。’女’で身を持ちくずした役者たちを見て来た人の実感だったのだろう。



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