吉川晃司にまつわる話から、米米CLUBのカールスモーキー石井として人気者になる前に無名時代の石井竜也に会っている。'84年10月、当時渡辺プロPR雑誌「ヤング」の編集長だった私は、売り出し中の吉川晃司のライブパンフレットに掲載するイラストを石井に依頼したことがある。その打ち合わせに度々訪れて来ていた。ソ連大使館の真向かいにある偕成ビル1Fの喫茶店に彼はペコリと頭を下げて入ってくるのが常だった。やせぎすの、一見、暗い雰囲気の青年だったが、会話は機知に富み、人を飽きさせないところがあった。笑顔は人なつこかったが、時折見せる鋭い視線に並々ならぬ野心が宿っていた。石井はその時25歳。文化学院大学を卒業して、米米CLUBを結成。ライブハウスで人気が出始めた頃だったが、名刺には「ILLUSTRATOR 石井竜也」と記されていて、「近所の子供たちにイラストを教えているんです」と嬉しそうに語った表情も忘れられない。
私も石井も大の映画好きで、いつも話題は映画に終始したが、彼の知識は並はずれていた。
ゴジラの耳は第2作からなぜか無くなった。アンギラスとの格闘シーンは闘犬からヒントを得ている。
  など特に怪獣や妖怪が登場する作品に愛着があり、造詣が深いようだった。米米CLUBは、大学時代の映画研究会を発展させて結成したこともその時に聞いたが、「映画を研究しても食えませんから」という言葉が印象的である。
彼が初監督した「河童」を観て、その頃の記憶が鮮やかに甦り、この作品を撮りたいために音楽活動に精を出して来たのかと思えるほどだった。この作品は映画評論家の間では不評だったが、それは映画への思いの丈を入れ込み過ぎての結果であり、彼の情熱が充分伝わってくる作品であったと思う。
派手なコスチュームとトークで万単位の観客を相手にパフォーマンスする「光」の一面よりも、部屋の中でコツコツと絵を描き、映画に熱中する「影」の部分に彼の本質があるような気がしてならない。
夜の山道を提灯の行列が移動する「河童」の1シーンは、国定忠治が登場した勝新太郎の「座頭市」へのオマージュではないかと思うが・・。
ところで、吉川晃司のパンフレットには、彼のイラストを3点採用したが、今やプレミア付きの貴重本になっている。



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