熟女女優として人気のある石田えりのデビューは昭和52年だった。「翼は心につけて」で骨肉腫の少女に扮した薄幸のヒロインとしてだった。熊本県八代市出身。父親が郷土の人気歌手八代亜紀の大ファンで、当地を訪れたチャ−リー石黒の知人を仲介にして「娘を歌手に!」と頼み込んだのが芸能界入りのキッカケになった。「普通は親が反対するのに私は逆。お父さんの望みを叶えてあげたくて」と高校2年の時に上京。チャ−リー石黒のもとで歌のレッスンを続けたが、一向に上達せず、帰郷を考えていた矢先に主役に抜擢されたもの。「3年やって駄目ならあきらめようと決めていたら、4年目にチャンスがめぐってきたんです」と当時のうれしそうな笑顔が目に浮かぶ。さっぱりした気性で思いきりのよさも天下一品。テレビドラマではパッとせず、あせっていた時に男性誌「GORO」の篠山紀信・撮影による激写ヌードの話が舞い込み、スパっと脱いで豊かなバストが話題になった。イエローキャブの”巨乳”タレントにも負けない迫力だったが、時代が早過ぎたようだ。恥ずかしかったけど、何かのキッカケにしたかった」と、サバサバした口調で語っていたが、   そのヌードを見た根岸吉太郎監督から「遠雷」(ATG)のヒロインに起用され、数々の主演女優賞に輝いたのだからまさに「脱いだかいがあった」というもの。その撮影では、長島敏行とのラブシーンで裸の上半身しか映らないのに「本番!」の声にいきなり全裸で飛び出し、「てっきり全身が映ると思って、みんなにヘアーを見せちゃった」というから、当時すでにヘア−ヌードを公開していたわけだ。山本薩夫監督「ああ、野麦峠・新緑編」(東宝)では、生来の物おじしない性格を発揮。社会派の巨匠を「サッチ」と呼んで周囲をあわてさせたが、怒りもせずに結構うれしそうにしていた監督の人柄を微笑ましく思えた。もっとも大正時代の製糸工場の女工役は「すごく難しくて円形脱毛症になりました」と、繊細な一面ものぞかせた。酒は強く、「昨日・悲別」の北海道ロケでは若い男優たちを相手に、連日明け方まで飲んでも収録に入るとケロリ。タフな飲んべえでもある。ミュージシャンの芳野藤丸とも離婚。ヘア−ヌード写真集を出すなどその後も話題に事欠かないが、ベテラン女優として、今こそ真価を発揮する時だろう。



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