後年はドラマの名脇役として光るいかりや長介氏。しかし今年2004年3月20日突然の死去。本当に残念です。だが、今でもドリフターズのリーダーであることに変わりない。昭和40年代半ばから始まった「全員集合」(TBS)シリーズは土曜日の夜に生放送され、平均30%強の高視聴率を持続して茶の間の人気を独占していた。いかりや氏は、そのギャグや構成のほとんどを手掛け、出演者でありながら事実上の演出家だった。
本番でのけたたましさとは裏腹に、ケイコ場は異常なほど静かで、トレーニングウェアーに着替えたメンバーたちから離れて、窓際のテーブルに台本を置き沈思黙考に入るのが常だった。彼のアイデアがひらめくまで、メンバーは何時間でもひたすら待つという状態が続き、笑いを生み出すことがいかに大変なものか驚いた。
取材での「ある意味では真剣勝負?」という問いかけに「ある意味どころじゃない。毎週、真剣で首を切られる覚悟。」と声を荒げた表情が忘れられない。
しかし、仕事を離れると無類の趣味人で、カメラ、8ミリ映画、クルーザー、クレー射撃、鉄道模型と好奇心のおもむくまま、
  時間と出資を惜しまない道楽人間だった。
ニコンのカメラが気に入り、望遠や接写レンズの全種類をそろえて、地方出演先のトイレの横に咲いていた花を撮るために、1日中ねばって帰京を遅らせたこともあった。
子供の頃から続けていた鉄道模型のコレクションでは、六畳の部屋中にレールを組み立て、あらかじめ撮影した実在の地区を山や谷、鉄橋など忠実に再現し、模型を走らせていた。飛行機の操縦に興味を持ち、免許の願書も取り寄せたが万が一の時は生放送に支障をきたすと、スタッフに反対されて泣く泣くあきらめたこともある。
最も自慢していたのは愛車のロールスロイス製のクラシックカー、スパロー。「日本に3台しかない。ボンネットにいたるまで全て手作りの特注品。」と語り、交差点に止まると見物人が集まってくる快感がたまらないと目を細めていた。
その後もビデオ、DVD、パソコンに凝り、これが若さを保つ秘けつになっているようだった・・。多くの事を教えていただき有り難うございました。お疲れ様でした。安らかにお休み下さい。



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