今もカラオケで人気が高い「六本木心中」を大ヒットさせたアン・ルイス。
昭和46年、「白い週末」でデビューした当時は、エキゾティックな顔立ちの清純派アイドル歌手だった。
アメリカ駐留軍の退役軍人と日本人の母の間に神戸で生まれ、7歳の時に横浜市本牧に移転。14際の頃、外人墓地を犬と散歩中に作曲家なかにし礼に認められて芸能界入りするが、5、6歳からモデルを始め、アメリカンスクールの’ミス・キャンパス’に選ばれる程の美少女だった。腰まで伸ばした黒髪と、帽子から靴まで色を揃えるおませな子供で、同級生のアメリカ少年に初恋。芸能界入りは、実は彼のアドバイスで決めたものだった。「彼は私と一緒に’ミスター・キャンパス’に選ばれた程の二枚目で音楽に興味を持ったのも彼がコーラス部にいたからよ。でも、16歳で帰国してしまい、一晩中泣き明かしました」と失恋のショックに打ちひしがれたという。その後、彼の面影に似た沢田研二に夢中になり、ザ・タイガーズの追っかけファンにもなったほどだ。
昭和53年の秋、親友の山口百恵と役1週間のアメリカ二人旅をした。
  その時、ロサンゼルスに住む彼と8年ぶりに再会。「相変わらずハンサムな彼でいてくれて安心した」と嬉しそうだったが、焼けぼっくりに火はつかなかった。彼との再会後は、百恵とディスコで明け方まで踊り、映画を観て、ニューヨークで洋服やブーツを山ほど買ったことを、いかにも楽し気に話してくれた。
容易に心を開かないといわれた百恵だったが「本牧で生きている」ところにひかれ合い、お互いの家に泊まるほどの仲のよさだった。百恵のステージ衣裳もアンがデザインしていたし、アルバムの収録曲の作詞も2人で共作。昭和55年の春と秋に二人が相次いで結婚した時には、きっと示し合わせたに違いないと思ったものだ。
もっとも三浦友和と幸せな結婚生活を送っている百恵に比べ、アンは桑名正博と1児をもうけながらも1年後に離婚。新婚当時は「旦那に味噌汁を作るの」と仕事中に車を飛ばして帰ることも多く、「尽くし過ぎると、冷めるのも早いかも」と冗談を言っていたが、その通りになってしまった。その後、年下のミュージシャンとの仲が噂されるなどしたが、今は話題も小休止。仕事での復活を期待したい。



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