昭和49年、「気になる17才」でデビューしたあいざき進也だが、売り出しには工夫が凝らされた。当時の渡辺プロの月刊機関誌「ヤング」に、氏名、年齢を明かさずに3ヶ月に渡ってグラビアに登場させたのだ。発行部数約10万部のファンから問い合せが殺到し、作戦は大成功だった。仕掛人は担当マネージャーの大里洋吉。後年、急成長の芸能プロ・アミューズ創設の素地はこの頃からのものだ。美少年イメージで、160cm、45kg、の小柄な外見に似合わずスポーツ万能。裸になると逆三角形の筋肉質で上腕部の力コブも27cmと太かった。関西に取材した折りに国際公認の自転車競技用トラックで遊び半分に走ったら、100mのタイムが36.5秒で3級合格の腕前。「初心者が38秒を切るのは珍しい」と係員の舌を巻かせた。
デビュー5年目の新曲キャンペーンではキグレサーカスの空中ブランコに挑戦。短期間の特訓で、地上20mのドッキングに見事に成功し「入団OK」のお墨付きまでもらったほどだ。
  空手道場にも通い、高倉健の仁侠映画の大ファンで、私生活はおよそアイドルのイメージとうらはらのものだった。趣味も釣り。岐阜県の羽島出身で幼稚園の頃から木曽川や長良川で釣りを楽しみ、デビュー後も全国ツアーには釣り道具を忘れなかった。公演日でも早朝5時起きして、近くの海で釣り糸をたれていたが、広島では約50cmのボラを釣りあげて、魚拓にして大よろこびしていた。一人っ子だったが、両親のしつけは厳しく、悪いことをすると父親の往復ビンタが飛んできた。「でも、淋しいだろうと猫を飼ってくれて、20匹にも増えて”猫屋敷”と呼ばれていた」というほどの猫好き。九州公演の夜に、夢枕に現れた愛猫が実家で病死したことを知った際、「猫にも情があるんですね」と真顔で語り、さっそく東京のマンションで代わりの猫を飼い始めたものだ。平成7年の秋、10年来の恋人と入籍。愛児にも恵まれ、パパになったが、今もライブ活動など歌手としても根強い人気を保っている。



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